No.126, No.124, No.123, No.122, No.120, No.116, No.115

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誘発されて戦場／もんけま

―――ドボン、ザブン！
　水面をつよく叩いた音が背後に続くのを聞いて、留三郎は自分のほかにもうひとりが池へ飛び込んだことを知った。今は瞼をきつく閉じており目視することは叶わないが、きっとおなじように鼻水まみれになった頭をどうにかしようと一直線に池へと走ったのだろう。飛沫が奏でるバシャバシャという喧しい音の合間に、文次郎のヤケクソな雄叫びが聞こえてくる。
　顔周りはすっかりべとべとだ。アクシデントでふたり揃って鼻水を頭から被った。それはもう大量に。鼻水はある種の細菌兵器だから、目に入る前に洗い流さなければならない。衣服が濡れるだとか、風邪を引くかもしれないだとか、そんなことを考えるよりも先に体が動いていた。冷えきった深夜の池のなかでふたり、じゃぶじゃぶと水を浴び続けている。
　留三郎は文次郎より早く終わらせようと可能な限り手を速く動かした。頭巾を取り、結っていた髪を解き、上半身にべっとりと付いたぬめりけのあるそれをどんどん洗い流していく。貴重な水源を汚したことを保健委員会に怒られるかもしれないが、今はとにかく視界を確保する方が先だった。そしてコイツに勝つ方が先だった。

「けませんぱい、ごめんなさい～！」

　ある程度を洗い流し、視界の確保に成功した頃合いになってからようやく、自分を心配する声がすることに気づいた。この状況をつくった元凶―――頭にすっぽりと嵌ったアヒルさん一号の船首飾りを無事に取ることに成功したしんべヱたちが、池の中のふたりを不安そうに見ている。

「いいさ、気にするなしんべヱ！　それよりも、アヒルが無事に取れてよかったな。念のため保健室で首周りの状態を診てもらってくるといい」
「ええ、でも平気ですよ？　は……っ、は、はくしゅっ！　……くしゃみが、止まらないくらいで」
「いいから行って来るんだ。他のみんなもしんべヱに付き添ってやってくれ。喜三太、胡椒を取ってきてくれてありがとうな。作兵衛は吉野先生への報告を頼む。船首飾りは無事だが、どうやらボートは池の底に沈んでしまったらしいと」
「「っはい！」」

　全身ずぶ濡れになった身体に、夜の風は一層厳しく感じる。
　あの状況で井戸に走らず、池へ飛び込む選択をしたのは留三郎自身だ。その後始末まで後輩たちを付き合わせるつもりはなかった。なにせこれから濡れた衣類を洗濯し、髪を乾かし、改めて池の状況を調べ報告をせねばならない。床に就けるのは一体いつになることやらである。忍びは眠れるときに眠るべきなのだから、全員での沈んだボート探しは明るくなってからでいい。
　委員会の後輩たちが戻っていくのを見届け、留三郎はふたたび池のなかへ頭を突っ込んだ。前髪がどうにも気になってしょうがなかった。触ってみたところ問題はなさそうではあるが、如何せん手が悴んでおりその感覚自体がそもそも信用ならない。うーん、とすこし思案を巡らせてから、まあこれしかないよなあと、相変わらずざばざばと騒がしい水音をさせている方へ声を掛けた。

「なあ文次郎、これちゃんと落ちてるか？」
「―――ぁあ？」

　一間ほど離れたところにある塊がもそりと動き、やや間を置いて、気だるげな声が返された。暗くて姿かたちまでよく見えていなかったが、やはり一緒に池へ飛び込んだのは文次郎だったらしい。
　うっすらと見える影から察するに、文次郎は律儀に留三郎の方を向いてくれたようだった。それでもあたりの暗さが邪魔をして、それ以上のことがわからない。「だからこれだよ」と留三郎が続けると、「バカタレ、暗くて見えんわ」という言葉とともに水を掻く音が何度か続いて、ようやく文次郎の顔が見えた。留三郎と同じように頭巾を取り、髪は乱れ、水が滴り落ちている、何ともな有様である。

「―――はは！　文次郎、水に濡れてちったぁ男前になったんじゃねえか？」
「ほざけ！　誰のせいでこうなったと思ってる。これだからお前ら用具委員会はヘタレなんだ。無関係の俺を巻き込むな！」
「はあ？　さっきのはお前が自分から突っ込んできたんだろうが！　どちらかと言えば俺は巻き込まれた側だ！」
「お前がきちんと後輩へ鼻水の管理指導をしないからこうなったと言っとるんだ！」
「鼻水の指導って何だよ！？」
「知るか！」
「はあ！？　何言っ……あーもう、とにかく見てくれよ。暗くて水面じゃ見えなくてな」

　六年生たる者、ある程度夜目が利くとはいえ月明りだけでは限度がある。自分から頼んだ手前、幾分か見やすいようにと顔を近づけた留三郎を前に、文次郎はフンと鼻を鳴らした。どうやら見てくれるようだ。まったく律儀な奴である。
　前髪に触れる文次郎のその手つきはぎこちない。初めは摘まんだ毛先をいじりながら眺めていたが、それからぺたぺたと、判断できるのかもわからない冷えた指先の感触を頼りに、文次郎の両の手が留三郎の頭の形をなぞっていく。
　まるで撫でられているようだ、と思った。やけに長く確認されている気がする。かさついた指がときおり耳を掠めるのがこそばゆく、思わず身じろぎすると、嗜めるように肩を掴まれたので留三郎は努めて耐えることを選んだ。六年生のなかでも群を抜いて短い己の髪で何をそんなに見るものがあるのかはわからないが、普段こんなにも静かにゆっくりと文次郎の顔を見る機会もないので待つ間眺めることにする。相変わらずひどい隈だ。そういえばここ数日委員会で忙しくしていたんだっけか。帳簿上の数字を目で追うときも、きっとこんな風に眉間にしわを寄せて確かめているのだろう。文次郎の真剣そうな顔が面白くて、迂闊にも肩が震えてしまったことは本人にも気づかれているに違いない。

「―――そうだな、大丈夫なんじゃないか？　細かいところまではわからんから、あとは風呂場でどうにかするんだな」
「風呂だあ？　ここまで来たらもう水で……」

　確認を終えた文次郎の身体がわずかに離れて、夜の空気がふたりの間を流れた。粟立つ肌に、目の前の男が提案した意味を知る。気付かないうちにこんなにも体が冷えていたらしい。

「馬鹿者。だからこそだろう、湯は浴びとけ。たしかに馬鹿は風邪を引かないと言うが、万が一ということもある。それに今は保健委員が全員使い物にならんのだ。これ以上患者を増やすな」
「てめー！　誰が馬鹿だって！？」
「風邪を引かないよう気をつけろと言っとるんだ！」
「んなヘマするかよ！　つかお前だって同じだろ。そんなびっしょり濡れ、て、……って、―――おい。」
　不意に冷えた首筋に文次郎の手が触れ、びくりと肩が跳ねた。襟足を後ろへ払い、露わになった肌のうえをその手がゆっくりと滑っていく。
「っ何だよ、」
「そうだ。俺もお前も身体が冷えている」
「それは……そうだが」
「早急に温まる必要があるな」
「だから何だって……おい文次、文次郎。おい……っ、」

　留三郎の呼びかけにも応えず、文次郎は無言で胸元あたりを凝視しているようだった。その居心地の悪さから逃れようにも肩をがっちりと押さえ込まれていて、後ずさることも許されない。かさついた手のひらは好き勝手に、だが明確な意図をもって留三郎の肌を撫でていく。
　体が震えたのは冷えたせいだ。そうだ、早く湯に浸からなければ。改めて主張を伝えるも、文次郎は応えなかった。朱く染まった耳に触れ、そのまま顎のラインを伝い降り、文次郎の冷えた指先が衿の隙間へと至ったとき、留三郎はその悪戯な手を反射的に掴んでいた。目の前の男が、勝ち誇ったようにふっと笑った気がした。

「お前ほんと…………わかりにくいんだよ、いつも……」
「はっ。馬鹿でも流石に気付くんだな」
「ッ気づかせるような触り方しやがったくせに何言ってやがる！」
「ああそうだ。気付かせたかったからな」

　くそ。文次郎の明け透けな物言いに殴りたくなるのを、ぐっと堪える。冷たいはずの手が熱い。というか体中が熱い。掴んでいる文次郎の腕も熱くて、先ほどまで水をかぶり続けて奪われていた体温が急速に戻っていく。
「それで？　風呂とお前の部屋とどっちがいい」
　そう言われた途端、顔にもぐわりと熱が集まった。『今は保健委員が全員使い物にならんのだ』―――と、この男はそう言っていなかっただろうか。
　はじめからどこまで考えて動いていたのかと、まったく文次郎のくせに、融通の利かない鍛錬馬鹿のくせに、似合わないことしやがって腹が立ってしょうがない。
　悩んだ末にちいさく「……風呂」と返したのは文次郎を殴るためだ。体を温め、油断したところでお前を殴る―――そんな留三郎の主張は、塞がれた口のなかで音にならず消えていった。

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✦RKRN

　
✦Monjiro×Tomesaburo

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: 　掛け軸裏のもんけま　『遅れてきた委員長の段』のこれは一体何してたの
: 　もんけま　基本的にはお互い魂に惚れてる

: 　もんけま事故チュー　犬猿は普段から距離感バグってる

NOVEL
誘発されて戦場 / 16期12話で鼻水まみれになったふたりがそのあと池でびしょ濡れになる話
けものの飢餓 / ほんとうは噛みたいのに我慢している文と噛みたいのなら噛めばいいのにとおもってる留の話　※事後

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白快Webオンリー展示漫画

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BOOSTお礼の漫画でした

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BOOSTお礼漫画／白快

#DCMK #白快

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視線を捉える／白快

秋の色のなかにいる白馬探というものに、興味を抱いた、ただそれだけではあった。

噴水のまわりを囲むようにぐるりと敷かれた石畳のうえを歩いていると、サクリ、と乾いた落ち葉を踏んだ音がして、黒羽は軽く足元に視線を落とした。秋だ。赤だとか、黄色だとか、普段よりすこし景色が鮮やかになるこの季節は、嫌いではない。駅前のこの噴水広場も例外ではなく、辺りの木々はそれぞれに紅葉が始まっていた。それくらいには秋だった。
待ち合わせはどこどこに、何時で。そう切り出したのは珍しくも自分のほうだった。白馬はすこしだけ目を丸くしてから、ああ、構わないよ。と柔らかな声で答えた。こうして今日の約束は結ばれた訳だけれど。
どこか行きたい所でもあるのかい。
んーまあ、ナイショ。当日のお楽しみってことで。
……僕が恥をかいたり、心臓が落ちそうになるようなサプライズで無ければ、大歓迎だよ。
その時の白馬の声色を脳内で再生して、いやだなあ、喜ばせるつもりはなかったんだけど、と黒羽はひとりごちた。
この考えに至ったのはそのすぐ後だ。言い出す前に思い当らなかったのは、自分の落ち度である。おやつを前にめいっぱい手を伸ばして、傍らのお茶をこぼしてしまうようなミスを、白馬相手にするなんて。
……いわゆる、デートだとか、そういうものをしよう、と言ったつもりはなかったのだ。今更な話ではあるけれど。今更、本当は『待っている白馬を観察したかっただけ』と言ったら、白馬はどう思うだろうか。
そうまで考えて、自分の口元がゆるんでいることに、黒羽は気付いた。どうやら楽しい、と思っているらしい。
（だって、おもしろそうじゃん。）
自分がイタズラ好きである自覚はあったけれど。せっかくの休日を返上してまで、しかも白馬を相手に、何を自分は。
軽くふるふると頭を振ってから、黒羽は離れた位置にある噴水の、背の高い水しぶきを眺めた――自分がいるのは入口近くの植え込みの前で、銀色のパイプで組まれた柵に座っている。公園の中心にある噴水との間にある植木は位置が少し入り組んでいて、しかもそれなりの人が待ち合わせに使う駅前の公園とくれば、ここは風景に溶け込むには申し分のない場所だった。
白馬がこちらの入口から入ってきたら、まあその時はその時である。
また改めて機会を狙ってやろう、と思いつつ、黒羽は失敗する気はしていなかった。
その程度には、白馬の行動パターンは知っていた。知っていることにすこし、躊躇いを覚えるくらいには。
いつも彼が、待ち合わせの十五分前には来ていること。黒羽の遅刻に直前まで文句を言おうとしていたくせに、目が合った瞬間、眉間に刻まれたわずかな皺が和らげられること。家の人に送られてくるとき（まあほぼこれだけど）は、待ち合わせ場所の手前で車から降りて歩いてくること。そして、他にもいろいろ。
そこで思考が妨げられたのは、見つめていた先、まばらでもそれなりの人混みの合間を縫って、白馬の姿をとらえたからだ。白馬だ。黒羽は単純にそう思った。
時間は、待ち合わせ時刻の十五分前。なんて律儀なやつ。ワンパターンなやつ。誰かにつけられていたら、一発じゃん。頭の中でそんな嫌味がいくつか浮かんでは消える。
「んじゃ、ま。本来の目的といきますか」

＊

木枯らしが服の隙間を吹きぬけていくには、まだすこし季節が早すぎるんじゃなかろうか。黒羽はそんなところに悪態をついて、しょうもねえな、と力を抜くために深く息を吐いた。
だって秋だ、文句は言えまい。同じところにもう何分もじっとしているせいか足先は冷えてくるし、パイプに座っているおかげで、尻も少々痛くもあり。臀部にうっすらとした痛みを感じ始めてきた頃から、だんだんとこの状況が馬鹿らしくなってきたこともあって、黒羽は思わず笑った。
仕方がないだろう。自分を笑いたくもなる。わざわざ変な計画を練って、数十分ほど観察してみた彼の様子なんて、『正直知らないでいたほうがマシだった』という判断を下すしかない。そんなものだった。
知らないでいたらまだ、良かっただろうに。このまま会ったとして、自分はどんな顔を白馬の前に晒してしまうか、わからない、そんなくらいには。
「――いえ、すみません。待ち合わせている相手がいますので、」
当の本人ときたら、今は二人組の女性に囲まれている。先ほどは別の女性に。その前は、宗教団体の勧誘、その前は風船配りのおにーさんだったか。で、その前は――。
……よくもまあ、次から次へと。と思ったのは黒羽であるが、白馬の容姿を考えれば仕方のないことかもしれない、とすぐに前言を撤回した。あの長身で、ルックスがよくて、それでいてもう三十分近くも待っているのだから、良いカモにされても仕方がない。
ねえねえあの人、芸能人かなあ？　かっこいいねー！　などと聞こえてくれば、素直に認めるしかなく。
秋のなかに溶け込んだ白馬探のまわりには、たしかに独特の空気があって、彼は人目を引いている。もう随分と。温かそうなマフラーをして、この寒空のなか、ずっと。
「――……白馬ァ、」
おもしろくないな、と思い始めたのは、何分も前だったけれど。あれを知っているのは俺で、あれが待っているのは俺で、という妙な優越も同時に感じていて。
けれどもう、十分楽しんだ。これ以上はおもしろくねーし、と黒羽はゆっくり息を吸い込んでから、もう一度言った。
「おいこら、白馬。」
「……――！　黒羽くん、」
弾けるように俯いていた顔を上げ、こちらを凝視している白馬の顔を見て、さきほどの優越感が、満足感に変わるのがわかる。
黒羽の目線の先にいる白馬が、溜息をついた。目を閉じて、目頭を押さえる。まったくもう……、という心の声が聞こえてくる気がした。そしてすみません、と囲んでいた人たちの間を割り、一直線にこちらへ歩んでくる白馬を見たら、もうどうしようもなかった。
「黒羽くん……あのねえ君、着いたなら連絡してくれたって――」
「ちゃんと気づいたんだな」
「……」
「エライエライ。」
触れられる距離に立つ、紅茶色の髪をした男の顔を黒羽は見上げる。
白馬が、何かを言いたそうに、けれど言葉に詰まったまま頬をうっすらと赤らめるから、もっとどうしようもなくなる。
「……いつから見ていたんだい」
「最初から、というか、もっと前から？」
「何か企んでいそうだとは思っていたけど、まさかこんな……」
「べつに、先に待ってただけじゃん？」
「……、……っ恥ずかしいだろう……。」
君はまったく、と右手で目元を覆いながら呟く白馬に、黒羽はこころのなかで、恥ずかしいのはこっちだっつの、とぶつけた。
白馬が、……待っているときの白馬が、一度も時計を確認していなかったり。数分前に送信した、『わりい、今日も遅れるわー』なんていうふざけたメールを、白馬がサブディスプレイを一見しただけで読もうともしていなかったり。
それにあの状況で、黒羽の呼びかけに応じたことだって。
そうしてそれらから浮かんでくる事実を、まざまざと知らしめられると、どうにも気恥ずかしかった。ポーカーフェイスのつくり方なんて、あたまから抜け落ちた。本来の目的は、それではないのに。
ただ、白馬が自分をどう待っているか、見たかっただけなのに。
「……そんなに嬉しそうにしないでくれないか」
「……いやー、照れてる白馬ってキチョーだなあ、と思って。」
「…………、」
はあ、と白馬のもらす、深い溜息すらも。
そうかオレ、いま嬉しそうな顔してんのか。ならいっかな、と黒羽は楽観的に考えて、目の前にゆれるカシミヤのマフラーを両手でつよく引っ張った。
いたずら好きはどうにも、白馬を困らせるのが好きらしい。
「なあ、今日はどこ行こうか？」

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白ばかりでいただけない／白快

　カーテンの隙間から漏れてくる光がまっすぐ、ベッドサイドまでのびていた。すこしだけ外の音を耳が拾って、意識が浮上してくる。まぶた越しに見る光はただのあかで、まぶしさを遮ろうとした手が動かせないことに、しばらくしてから白馬は気付いた。
「……ハヨ」
「……。ああ……おはよう……」
　腕のしびれを、自覚する。うっすらと開けた視界の先に流れるように黒髪があって、白馬はおもわず目を見開いた。人の腕を枕にしておきながら、すこしだけ楽しそうな顔をして、黒羽快斗はのんびりと挨拶を交わす。
白馬はいままでその重みを知らなかった。二度ばかしちいさく瞬きをした。朝の白んだ光のなかで見た黒羽の肌と、白いシーツに目がくらりとする。息がつまった。
　そーそー、その顔。その顔が見たかったんだよね。視線だけを下へと向けて、黒羽はうれしそうな声色をしながら、悪ふざけがうまくいった子供よろしく、にい、と口元をつりあげた。そしてずぼっと一気にシーツのなかに潜って、そのまま、出てくる気配はない。
「息が出来なくなるよ」
「俺を誰だと思ってんの？　水の中でだって、息出来る」
　くぐもった声が、自分のそばからした。
　白馬は困っていた。正常な脳で、冷静な脳で、こういった状況を受け入れることが初めてだった。黒羽がいたことにびっくりしたわけではないのだ、と、それだけは言わせてほしい。
ただ、右腕から消えた重さと、残されたしびれと、残り香なんて目じゃないそれに自分がうろたえたことに、驚いていた。
「……いつから起きてた？」
「さあて、いつだろーな。お前の寝顔、案外可愛かったぜ。」
「たまには……良いものだと思った？」
「オメーってほんと質問ばっかだな。自分ですこしは考えてみれば？」
　そうしてひょっこりと目元まで、シーツから出してみて。白馬が投げ出した右腕の下、その体の隣におとなしくおさまっている黒羽は、こんなにも早い時間だというのに機嫌が良いようで、そのまま白馬を見上げて視線を合わせてくる。
　服を着たらどうだい。そーだな、でもこーいうときって普通お前が先に身だしなみ整えたりするんじゃねーの。そんなこと気にしたことはなかったな、朝はいつもひとりだ。
そこまでやりとりして、黒羽は大袈裟にシーツをめくりあげた。白馬の視界は一瞬でただの白になる。光がおぼろげにシルエットを作りだして、それがすでにバスローブをまとっていた姿だったことに白馬は動じなかった。
もう頭は冴えていた。自身にうろたえることも、もうないだろう。
「こないだ言ってたじゃん。風呂にジャグジーついてるって。俺あれ一回使ってみたかったんだよねー」
　ジャグジーで泡やる。風呂どっち？　黒羽が軽く視線だけを投げかける。やはりそこにはバスローブを着た黒羽がいた。いつも、使うことはきっとないだろう、と思いつつも用意していたもので、実際に使用される日がくるとは、むしろバスローブだって思っていなかったかもしれない。
すこしばかり丈の長いそれをひらりとさせて、質問をしておきながら勝手に我が物顔で部屋を横切る黒羽に、「知っているくせに」とだけ白馬は返して、それから視線をそらしてシーツを手で直し始めた。当ったりぃー、と壁を隔てた向こうのほうで聞こえた声は、ずいぶんと楽しそうなものだった。
　顔を洗いたい、と思い立った白馬が洗面所へ向かったあと、やだエッチー、と騒ぎ出した黒羽がシャワーをぶちまけて、それから始まった喧嘩は朝の静けさを壊さないようにやわらかなものだった。
泡ばかりが、床にとびちっている。

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