Reus


DCMK

溺れるようで悪いけれど/白快


 ときおり、人目を避けるように一瞬、さらりとした髪の下でこめかみを揉むようなしぐさだとかを見ていたから、まあ、やっぱりな。という思いが黒羽にはあった。
 まあ、やっぱりな。調子悪いんだろ、おまえ。そーだろーとは思ってたけどよ。
 白馬探は、すこし訝しげに目線だけを上に向けながら、けれど左手で眉間を押さえたまま保健室でぐったりとしていた。
淡々とそう話す黒羽は座っている白馬の目の前に立っているから、立ち上がって帰ろうにも行動を阻まれる。「……退いてくれないか」「立ち上がって、立眩み起こして、俺を支えにしない自信があるんなら、ドーゾ?」仁王立ちしている黒羽は、(いつも存在感だけは異様にあるのだけれど、)いつも以上に威圧感を放っていた。白馬はそう感じた。
淡白に、冷めたように言葉を言い放ってはいるけれど、黒羽快斗はどうやら、怒っているような気がした。
 保健室特有の、薬品のにおいがキツイ。消毒されたベッドシーツの白さも眩しい。
――ここには居たくない。珍しくも短絡的にそう思った白馬が、意を決して立ちあがろうとしたのを察したかのように、黒羽は二の腕に手をかけて、座り込んでいる白馬の体を勢いよく引っ張り上げた。
「なら、屋上ならいいか」
「黒羽くん……」
「教室に戻るのは駄目だ。どうせ机に突っ伏すのがイヤでおまえ、無理にでも姿勢正して授業聞こうとすんだろ。だから駄目だ。」
「……そんなこと、」
「あるだろ。現に一、二限がそうだった。……頭痛薬はくすねさせてもらったし、オラ、行くぞ」
 わずかに体重が持って行かれそうになるのを、すこしだけ踏み止まって耐える。白馬は視線だけを黒羽に返した。何故、知っているのか。何故、それを。
 黒羽は特に感情を表に出さず、言った。
「保健室常連なんで、オレも。」
 違う。知りたいのは、そこではない。

 *

 ひび割れた白いコンクリートを抜けた先の、青空はきれいすぎて、すこしばかり憎たらしさすら感じさせる。
 黒羽が、立入禁止になっているはずの屋上の鍵をいとも容易く開けることが出来たことについて、いつものように言及している元気すら今の白馬にはなかった。自覚してしまったことと、黒羽に気付かれてしまったことが、いけない。自分の体に大丈夫だと言い聞かせて、あのまま授業をこなしていても良かったのに。
「……今日は、四限までだったろう」
「授業はな。昼休み終わったら全校集会あるって、オメー知らなかったろ」
「……、」
 はあ、と黒羽は溜息を吐く。言い返す元気もねーとか、相当じゃん。坊ちゃんはもう、薬飲んで大人しくしてろよ。
 事実、白馬は言い返せなかった。もう無駄だと思っただけで、気力が無い訳ではなかったはずなのだけれど、それを説明することがもはや億劫に感じられた。意外にも、黒羽が面倒見が良くて、情に厚いことを知っていて。それが今自分に向けられていることが白馬には貴重だったので、味わっておこう、と変に考えが働いたことも理由ではあったのだが、それは黙っておこう、とおもった。
 そうして言われたとおりに薬を呑む白馬に、持っていたペットボトルを渡そうとしていた黒羽はぎょっとした。
「おまえ、水は」
「要らないよ……錠剤一粒くらいなら」
「……ふうん」
 動かない頭で、あ、と白馬は思った。また怒らせたような、気がする。気がするだけで、それを把握しようが無いのが黒羽快斗という人物なので、あくまで憶測にしか過ぎないけれども。

 *

 日差しは、夏のくせにやさしかった。教室や、保健室にいるときよりも強く風が吹くのを、前髪だけが厭がっている。座り込んでもたれた屋上のコンクリートの表面に体温が移って生温くなった頃、白馬はもういいよ、と黒羽に声をかけた。
 もういいよ、楽になった。君は授業に戻ると良い。
 ……ずっと目を瞑ったままでいたから、白馬は知らなかった。告げた後に顔を上げると、黒羽がその夜空のような瞳を、こちらに向けている。
 目が合うと、黒羽は一度、瞬きをした。え、なに。黒羽は遅れて、そう言った。
「……大分楽になったから、君はもう、授業に戻ったらどうかと」
「――あー……、ウン。うん、まあ。そうだな、そうすっかな」
「悪かったね、付き合って貰ってしまって」
 反応の鈍さに妙だな、と思いながら、白馬はやんわりと微笑む。紳士として、礼はきちんとすべきであると骨の髄まで染み込んでいる。これも、心からの感謝の気持ちであった。
 黒羽はそれでも、動かないままでいた。歯切れの悪い返事ばかりをしている。うーん、どうすっかなあ、でもなあ。
 流石に白馬は、変だな、と思った。ぱちぱちと瞬きをして、とりあえずは立ち上がろうと右手をコンクリートの床につけると、目の前に黒羽の手のひらがすっと現れた。ストップ、と言いたいのか。
 しゃがみこんだ黒羽が、白馬の顔を覗き込んで。先ほど制止のために出された左手がそのまま、白馬の顔の横を通り過ぎて、後ろの壁へと添えられた。
「……く、ろば、くん?」
「――言おうかどうか、迷ったんだけどさあ、」
 つうか、言うつもりはなかったんだけどさ。黒羽は保健室でのように淡々と、感情を表に出さないまま、言う。
「オレ、白馬が頭痛耐えてる顔がけっこう好きみたいなんだよな」
 眉間のしわと眉の形と、抑えられた息と手の位置と顔色の悪さだとか、うっすら汗ばんだこめかみとか。見開いた目が捉えたのは、楽しそうな黒羽の顔で。白馬は思わず、止まった。息と心臓が一瞬、止まった。
「……。……黒羽くんは、趣味が悪い……」
「俺のことスキとか言う時点で、おめーもじゅうぶん悪い。」
 仕方が無いじゃないか、それは。そう文句を言おうとしたら、ふわりとした風が鼻先をかすめて、やわらかな感触が、やさしくこめかみに触れた。
 怒っていたんじゃ、なかったのかい。
 まあ、怒ってたんだけど。でもおまえも怒っていーよ、不謹慎なオレに。



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