知らないなんて言わないで／仏英

Hetalia

知らないなんて言わないで／仏英

　フランスという男は非常に飽きやすい性格をしている。
　本人は流行の最先端を追っているだけなどと豪語しているが、ファッションのみならず女も、住居さえも飽きやすくしょっちゅう変えている。そしてその度に迷惑な通知をひとつだけイギリスに寄越す。
――『現在地』の位置情報だけがポンと送られてきたメッセージ画面を見て、イギリスはまたかとその連絡を無視することにした。

　　　◇

「――Shit!!　ああもう、何だってんだ！」

　パリ北駅のガラス張りの駅舎を背に、肌寒い風を感じながら叫んだところでどうにもならない。出張先から拾ったタクシーがハズレで延々と遠回りをされた挙句、渋滞にも巻き込まれ、そしてクソ運転手がメーター分料金を払えと主張するのでそれはもう丁寧に相手をしてやった。
　ただ、相手をしてやったせいで出国手続きまでの時間は残り僅か、おそらく自分なら諸々を簡略してねじこんでもらえるだろうけれど、このフランスのど真ん中でそんなことが出来るかとイギリスの理性が終電に飛び乗ることを諦める道を選んだ。「拾うタクシーをミスって運転手と喧嘩した挙句終電を逃しそうだからお前ん家の国民にどうにかしてもらった」なんて、死んでもフランスの耳には入れたくない。
　こんなことなら素直にメトロで移動をすればよかった。後悔したって意味はないのだが、どこからかいけ好かない髭の声が聞こえてくる気がして苛立ちが増す。
　今からホテルを探すにしても、今更そんなことを起こすかというあまりにも情けない理由なので気が進まない。必然的に名乗ることになり、そしてそれはどういう伝手か結局フランスの耳に入る。踏んだり蹴ったりだ。今度会った時反射的に殴ってしまうかもしれない。いや、殴ろう。
　そう決意して、駅から離れようとタクシー乗り場からすこし歩いただけでイギリスの苛々はさらに増した。
　ワイン野郎のほくそ笑んでいる顔がちらついたのも、駅前で騒いでいる若者の声がうるさいのも、さっきのタクシーの運転手の悪態も苛立ちの原因のひとつだけれど。
　一番の原因は間違いなく、通り沿いにあるカフェを目にして余計なことを思い出してしまったせいだ――あのカフェテラスは過去、フランスの浮気現場を運悪く目撃した場所だった。

　そう、哀しいことにイギリスとフランスは付き合っていた。飽き性な男の気まぐれに巻き込まれた情けない男が自分だ。
　だからこそ知っているのだ、あのクソ髭がどうしようもなく移り気な薄情者で、ファッションも女も、男も、住居さえもしょっちゅう変えていることを。

　　　　　◇

「おいクソ髭ワイン野郎、未だに電子機器の使い方がわからねぇようだからこのイギリス様が一から教えてやってもいいぜ。何なんだよこの意味不明な位置情報は」
「Bonjour. やあ、相変わらず元気な眉毛してんねイギリス。会って早々何なの？　お兄さん朝からそんなに騒ぐ元気ないんだけど」
「とぼけんな！　あとお前はもうおっさんだおっさん。つーかこれだよ、間違えて送ってきたのかよお前」
　ドイツで行われた会議で、珍しく早い時間から席についていたフランスへとスマートフォンを突き付けてやった。
　それはフランスとのメッセージ画面で、昨晩のものである。そこには何もメッセージが添えられておらず、機械的に発信されたであろう位置情報のURLと緯度経度だけが届いていた。面倒くさそうに片方の眉を吊り上げながらフランスはその画面をまじまじと覗き込んだ。

「んー？　……あはは、そうかも。いや～昨日珍しく結構飲んじゃってさあ。何か適当に画面いじったような気もするわ」
「酔っぱらって俺に迷惑なメッセージを送ってくんな。あと会議前日にアホみたいに飲んでんじゃねえよ」
「わかったわかった、イギリスちゃんはわざわざそのメッセージを気にして聞いてきてくれたんだ？」
「んなわけねーだろめでたい頭してるやつだな」

――今思えば、この時はうまいことはぐらかされたのかもしれない。
　あの時たしかにフランスは間違えて送ったのだと言っていた。けれど、酔っ払いから発信される位置情報はその後も不定期にトークアプリに届き続けた。酒に溺れて現在位置を送り付けてくる癖がある男なんて最悪だ。そうでなければ、フランスという男は骨の髄まで機械音痴とラベリングされている奴なのかもしれない。どちらにせよこの男と付き合っていた過去を今すぐ消し去りたい。

　この通知はまるでフランスの気まぐれそのものだ。
　ある時は駅前、ある時は大学の傍、また戻ってきて市街中心部の通り沿いのアパルトマン。早いときは三ヶ月で次の通知が来る。――一度、たまたま近くに居たときにその場所へ訪れたことがあったのだが、そこで目にしたのはフランスと寄り添い歩くブロンドの美女だった。
　それ以来、イギリスはその通知を『逢引報告』と呼ぶことにしている。

　だから、この通知は無視していいのだ。
　きっと移り気な薄情者がその様をイギリスに自慢したいだけなのである。どうだ、俺はもう次の相手を見つけたけど？　という髭のしたり顔が目に浮かぶ。
　こっちはフランスと別れて以来誰とも関係を持っていないのに、随分と酷い男だとイリギスは思った。

　　　　　◇

「――で、結局俺に連絡してきて何なの？　無理にユーロスター乗りゃあ良かったじゃんよ。駅員に迷惑掛けるか俺に迷惑掛けるかの差じゃねえの。あのね、お兄さんはこれから一杯やろうと思ってたの。それがお前の電話に捕まって出掛け損ねたわけ」

　フランスの声が電話口から聞こえる度に、この小一時間脳裏に思い描いていた憎たらしい髭面が心底面倒そうな顔へと変わっていく。
　想像上のフランスの顔はとてもコミカルだ。ばかみたいな年月突き合わせた腐れ縁の顔。今どんな顔をしているのかなんて、声だけで分かる。

「だからお前に迷惑掛けることにしたんだろ。いいじゃねえか、まだ家に居るんならホテル手配してくれよ」
「へ～ええ、そういうこと言う？　ていうか人に物を頼む態度じゃなくない？　素直じゃないねイギリス、お兄さんは可愛らしく『お願い』が聞けるんだと思ってたけど」
「次に会った時はお前のムカつく髭面の顎を目掛けて丁重に一発お見舞いしてやるし、ついでに脛を蹴り飛ばすサービスも付けてやる。だから今夜だけは頼む」
「だからじゃねーだろおかしいでしょうが色々！」

　路上で電話を掛けながら乱暴な言葉を発しているイギリスを避けるように、終電帰りの会社員が小走りで去っていく。
　あのあと、イギリスは気が付けばスマホでフランスの電話番号を呼び出していた。一連の苛立ちのあまり文句を吐き出したくなったのだ。はっきり言って馬鹿そのものである。フランスの言うことは尤もであるし、ここは素直に頼み込むべきなのに、肝心の口からは悪口しか出てこない。

　でも相手がフランスならば仕方がない。だってアイツはフランスで、俺はイギリスなのだ。だからむかつく、と思ったら次には殴らなければならないのだ。それが自分たちの関係なのだから、仕方がない。

　時刻は二十二時を過ぎようとしている。いくらパリといえども治安が良いとは言えない時間帯だ。それに出張していた関係で堅苦しい格好をしているが故に、標的にもされやすいだろう。正直チンピラに絡まれようともイギリス自身何の問題も無いのだが、他国で、しかもフランスで問題を起こすのだけは避けたい。

「……はあ、まあいいけど。でも今からホテル手配すんのは面倒だしパス。うちの子に迷惑だし」
「じゃあどうしろってんだよ。朝まで飲めるバーか野宿できる公園でも紹介してくれんのか？」
「そんなわけないでしょ。……俺ん家、来なよ。イギリス、場所知ってるだろ」
「…………はぁ？」

　今フランスは何と言っただろうか。コイツの家？　溜息まじりに言われたそのフレーズを幾度か反芻させて、変わりようのない辿りついた結論にイギリスは辟易した。
　イギリスの予想が正しければフランスは何度も引っ越しをしている。なにせ生粋の飽き性である。ファッションだって女だって良いと思えばすぐ変える。そうやって一ヶ所に留まっていられない相手への郵便が返送された回数を数えるのはとうの昔にやめたのだ。
　これは経験に基づく予想だけれど、イギリスとフランスが別れてから十回近く家を変えているのではないだろうか。飲み会の後、帰っていく方面がその度に違っていたような気さえする。仮にそうだったとして、その間の住所なんてイギリスは知らないし、今の住んでいるところだって知らない。別れた男を追いかける趣味はない。いったい何なのだろうか、この茶番は。

「……俺はお前の家の住所なんて知らねえよ」
「あっそう。じゃあ野宿すれば？　知らないフリするなんて」
「フリじゃなくて、本当に知らねぇんだよ。だいたいお前バカみたいに引っ越して――」

　……だから、知ってるでしょ。
　イギリスの言葉を遮るようにフランスは言う。その声色が怒りも呆れも含んでいないことに気が付いて、イギリスはすこしだけ違和感を覚えた。それはしばらく成りを潜めていたのだ。フランスと別れてからずっと、聴いていない声だなと思った。

「俺はね、イギリス。アドレスが送られてきて舞い上がるような奴より、迷惑だって突っかかってくる奴の方が好きだったみたいなんだよね。……お兄さん、マゾなのかも」

　……だから、俺は知らねえよ。
　そう言えたのならよかった。さきほどイギリスが無視すると決めた位置情報は、パリ北駅から一区先の通りを示している。その画面を見ながら、そしてスピーカーから漏れ出るフランスの声を聴きながら、もしかしたら、と思ったのだ。
　確信があったわけじゃない。そしてイギリスに別れた男を追いかける趣味はないけれど、残念ながら、ばかみたいな年月顔を突き合わせて来た隣国の男の、妙な癖やら好みやら、考え方をなんとなく知ってしまっているだけで。
　思い浮かんだ可能性に、馬鹿じゃねえのと文句を吐きながらも歩き続けたのは、数年続いたフランスの茶番に、最後くらい付き合ってやろうと思ったからだ。

「……ほーらね、知ってんじゃん。あと名誉のためにひとつ言っておくけど、俺、イギリスと付き合ってるとき浮気なんてしてないよ」

　建物の前に白い息を吐きながら立つ見知った髭面を見た時、イギリスは殴ってやろうと決めていたことなんて、もうすっかり忘れてしまった。

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