夜に鳴らす／カスフォカ

Megido72

夜に鳴らす／カスフォカ

　アジトの宿舎に備え付けられているベッドは小気味よく軋む。
　軍団がこの建物を利用する以前から置かれていたもので、支障がある場合はもちろん職人に手直しさせているが、寝具にこだわりのある者以外はそのまま使っているシンプルな木製のベッドだ。
　路地裏の冷たい石畳のうえで縮こまって眠ることに比べれば、天国に変わりない。寝床があるだけありがたい――その認識はもちろんある。それでも女の家や連れ込み宿でもうすこし質の良いベッドを経験しているカスピエルにとって、身動ぐ度に軋むその音はどこか安っぽさを感じさせた。

「やっぱりこのベッドちぃと古いんやないか？　俺のよりギシギシ言うで」
「……そうか？　あまり気にならないがな」

　そう言いながらフォカロルが壁際に身を寄せたので、わずかに生まれた隙間を埋めるようにカスピエルはその背を追った。ぎしり、と木の脚が唸り声を上げたのを聞いて、耳で二人分の重みを知る。
　ふたりで眠るにはちいさいから、足を絡めて身体をくっつけて寝るくらいがちょうど良い。こうして収まりの良い体勢を知っているのは、度々フォカロルと熱を分かち合う夜を迎えるからだ。
　フォカロルはいつも、一通り終えたあと背を向けて眠る。顔を見て寝てもいいのにと思いつつも、カスピエルは彼の鍛え上げられたきれいな背中を眺めるのが嫌いではなかった。晒された首筋に何度か吸い付いて素肌に手のひらを這わせていれば、「おい、もう寝るぞ」と掠れた声で叱られる。その声にだいぶ気分が満たされたので、カスピエルは身体の前に腕をまわしてフォカロルを抱き込んだ。

「――……おい、だから今日はもう」
「ちゃうって。なんや寒いな思っただけや。離れんといて」
「寒いわけないだろう。俺は暑い」
「……なあ、何でいつもそっち向くん？」

　脈絡もなく以前から気になっていたことを口にすると、ゆっくりとした動作でフォカロルは振り返る。夜を閉じ込めたような色をした瞳が瞬きを二回繰り返す間、たしかにふたりの視線は交わっていたのだけれど、そのまま顔ごと逸らされてしまった。返事を貰えそうな様子はない。答える気はないから、さっさと寝ろということだろうか。
　カスピエルはこの時間が嫌いではなかった。いつもうるさく小言を発する口が静かに閉ざされ、カスピエルの話を聞いてくれることも、すぐにそっぽを向いてしまうその背にいくつも残された歯形を眺めていることも、嫌いではなかった。腕の中に閉じ込めた男が、自分だって疲れているだろうにカスピエルが寝付くまで決して眠ろうとしないことも、気付いていないフリをしてやろうと決めていた。

「――お前はこのベッドを古いと言うが」

　カスピエルがちょうど眠りに落ちかけていたタイミングで、フォカロルの掠れた声を聞き意識が浮上する。先程の会話の続きだろうか。話を続けようとする気配を感じ取って、カスピエルは重たくのしかかっていた瞼をゆるりと持ち上げた。

「うん？」
「……俺はそこまで嫌いじゃない」
「……そら初耳やな。そないに愛着あったんか」

　元々建物に初めから備え付けられていたベッドに、寝やすいも寝にくいもあったものではない。自身でアレンジを加えて使用している他のメギドと比べて、フォカロルはわりと質素な使い方をしているように思う。洗濯され、きちんと太陽光のもとで干された真っ白なシーツに枕。シンプルにそれだけだ。
　フォカロルは相変わらず壁に身を寄せ、カスピエルに背を向けている。静寂が時の流れを忘れさせるなか、伝わってくる心音だけが確かに刻まれていた。身体の前に回された腕を掴んだフォカロルの力強さに、待てという意志を汲みとる。喋ろうとして、躊躇う。息遣いがそんな彼の様子を伝えてくるが、珍しい。
　しばらくして、掠れた声がぽつりと話し始める。

「――いつもは、そこまで五月蝿くはない」
「……こんだけギシギシ言っとんのに？」
「そうだ」
「やって、……ほら。これっぽっちでごっつうるさいでジブンのベッド」

　試しに肘をついて半身を起こしただけでもベッドは大きな音を立てる。ギシギシ。その音に、フォカロルが呆れたように息を吐く。

「お前のベッドはこうはならないんだろう」
「せやな、こないには軋まんな」
「……それに、軍団内でそういったクレームや意見の類は今のところ耳にしていない」
「……ん？　それとこれと何の関係があんねん」

　起き上がってそのまま、フォカロルの顔を覗きこんだらどことなく恨めしそうな顔をしていた。え、何やねん。こちらを睨めつける視線が痛い。どうしてわからないのかと言いたげな目をしている。
　それでもカスピエルにはわからなかった。このベッドよりも良いものが世の中にあると知っているし、自室のベッドも同じ造りのはずなのにここまで悲鳴をあげたりしない。だから変えてもらったらどうかと言ってもよかったのだが、アジト内でも一、二を争うケチンボに勧めたところで逆に説教されそうなので、それを提案したことはない。
　目の前の背中から、また深いため息が聞こえる。

「……お前と寝なければ」
「――『俺と寝なければ』？」
「……別に軋まないんだ、このベッドは」
「…………は、」
「っだから、ふたりで乗」
「待っ……言わんでええ、言わんでええ！」

――ギシギシ。

　勢いで飛び起きたせいで、ベッドがいつも以上に大袈裟に鳴る。安い造りのベッド。二人分の重みが、そのまま木が擦れる音となってこだまする。
　フォカロルが何を躊躇っていたのか、わかってしまった。いつもうるさく小言を発する口が静かに閉ざされ、話を聞いてくれる時間が嫌いではなかった。カスピエルはそう思っていた。それがどうしてかなんて、言葉にするのは野暮だろう。
　むず痒い気持ちに耐えながら視線を投げたその先、フォカロルの耳がうっすらと赤く染まっているのを見て、つられて顔に熱が集まるのを感じる。

「ッ、やっぱ言わんでよかったやろ、それ！」
「お前が訊いたんだろう！　だから、この音がするならば――俺は、お前の顔を見る必要がない、と。そう思っていただけだ、わかったか？！」
「なっ……」

　たしかに、訊いたけれども。
　過剰に反応してしまったことを悔いる。察しのいい男だから、心臓が体のなかで暴れまわっていることにきっと気付いているだろう。
　誤魔化すにはあまりにも距離が近すぎて、そして、夜は静かだった。

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