価値なら俺が決めてやる／カスフォカ

Megido72

価値なら俺が決めてやる／カスフォカ

――あれからお前とはなかなか時間が合わず付き合ってやれなかったからな。これを機にどうかと思ったんだ。

　とは、大きな木製の作業机に並べられた布地を前に難しい顔をしているフォカロルが、アジトを出る前にカスピエルに告げた言葉である。
　曰く、アジトの皆で節目を祝う催しをする際に着るものが無いため、それを選んでほしいのだという。スーツではなく悪いが、と続いたフォカロルの言葉を遮り、まあアレはそういうつもりで言ったんやないからええでと返したカスピエルは、正直なところ驚いていた。
　彼が「スーツを見繕ってやる」というカスピエルの戯言にも近い個人的なお願いを、まさか覚えているとは思っていなかった。その場で適当に言ったつもりもないので嬉しい誤算なのだが、この男の律儀さには驚くばかりである。もちろんカスピエルの返事はイエスで、スーツはまた今度なと言うと、フォカロルは身に覚えのない好待遇にどこか怪訝な顔を浮かべていた。

　ふたりは予定を合わせ、王都の端に位置する仕立て屋を訪れることにした。
　ここはカスピエルの馴染みの店である。自身の上等なスーツもここで作ってもらった。フルオーダーメイドで細かな注文も利くし、何より店員の愛想がいいので気に入っている。
　物珍し気に店内を眺めていたフォカロルに流れを説明してやり、あとは店員にパスをして採寸をさせた。その間にカスピエルがある程度の種類に目をつけ、関連した他の柄とデザインのサンプルを用意させる。店員からの怒涛の質問にフォカロルが多少狼狽えていたようにも見えたが、時間も限られているなかでの手早い対応は正直なところありがたかった。
　なにせ、アジトの備品の買い出しついでに許される程度の時間をもらって、ようやくフォカロルを連れ出すことが出来たのだ。この男は抱えている仕事が多すぎる。倉庫の在庫管理、帳簿の記帳、警備関係の調整会議にもよく顔を出していると聞くし、アジト内の風紀に目を光らせているのは彼の趣味だったとしてもまるで休む暇がない。

「仕事なのだから、そういうものだろう。やれるのならば出来る人間がするべきだ」
「まあそれは確かに真理っちゅうか……、なら俺らの酒盛りはもう気にしてくれなくてええで」
「それこそ見張ってないと駄目な代表例だろう！　どうして許されると思う」
「いや他人の私生活領域まで口出ししてくるんはどちらか言うたらおかしなことやん……？　あれ？　これ俺がおかしいんか？」

　派手な酒盛りが彼の説教対象から真っ先に除外されるなどとカスピエルも本気で思ってはいないが、休む暇が無い人間がよくもまあ騒ぎを聞きつけすぐさますっ飛んでくるものだと感心している。
　そんな雑談を交えながら、カスピエルは流し見して目を付けた生地を頭のなかで組み立て、フォカロルが着ているところを想像した。既にメインで使いたいひとつは選んである。それは羽織にするとして、その下にこの色はどうかとサンプルを当てさせた。ちょっと違うか。そうして次々にフォカロルの身体に布切れを当てさせ、イメージに近いものを選び出していく。
――せやな、色はこっちでええ。んーとそこはこっちの布やな。ちゃうちゃう。説明するなら……俺が今着とるこの色みたいな感じや。おお、ええなそれにしよ。隣に立って合う感じにしてや。飾りのラインはこれでな。そんだけやと地味やしこの布をこう……、ほんならそのワンポイントは任せるで。
　時折フォカロルの意見も交えながら、布選びは順調に進んだ。デザイン画を仕上げ、こちらが納得すればすぐにでも作業に取り掛かるという。この様子なら十分に間に合うだろう。正装の準備も、今から買い出しをしてアジトの夕食づくりまでに食材を届けることも。
　途中、カスピエルが意見を伝えているときにフォカロルがどこか驚いたような顔をしていたが、目が合うとすぐにいつもの顔に戻ってしまった。どうかしたのかと問えば何でもないと言っていたから、きっと気にする程のことではないのだろう。

「――お疲れさん。デザイン決まったんか」
「ああ。張り切って作ると言っていた。俺のために、ありがたい事だ」

　ある程度の形が固まったのを見て、カスピエルはひとり店の外に出た。本人の好みもあるだろうから、最終的な調整はフォカロル自身に任せた方がいい。もうしばらく掛かるであろうことを見越して、一服して待つことにした。上着の内ポケットを探り煙草を取り出して、口にくわえる。
　どうやらこれが最後の一本らしい。急に出られることが決まったので、補充することを失念していた。果たして次はいつ一緒に外出ができるのかと、忙しいくせに顔にはそれを一切見せない男のことを思い浮かべながら考える。最低でも仮縫いと仕上がりの時にはまた連れてこなければならないだろう。確実に仕事を優先させる男なので、裏でうまいこと調整してやらなければならない。
　しばらくして、いくつかの書類を手にフォカロルが店から出てきた。おそらくデザイン画の写しと、契約書類だろう。紙面から顔を上げたフォカロルが、手元で煙草をくゆらせているカスピエルの姿を目にとめた時、わずかに申し訳なさそうな顔を浮かべた。カスピエルが外に出て来てから時間はそこまで経っていないと思うけれど、やはりこの男は律儀な生き物である。

「煙草はもういいのか」
「ん？　何やジブンも吸いたいんか。一本あげたろかーて思ったけど、残念ながら今ので手持ちは最後やねん」
「いや、いい。そういうつもりで言ったんじゃない。それに俺は煙草は吸わん」
「はは、せやろな。そう答えると思ったわ」

　煙草入れに付いている灰皿に先端を押し付け、始末をする。
　仕舞い込もうとして、蓋を動かしたらうまく閉まらなかった。閉じたはずなのに蓋の部分がわずかに浮いており、簡単に開いてしまう。どうやら留め具が壊れてしまっているらしい。随分と昔に女から貰った代物だったので、おそらくもうガタが来ていたに違いない。

「……壊れたのか」

　手元を覗き込んでいたフォカロルが、「簡単な物なら直せるが」と続けた。そういえば機械の類いには強い男だった。手先の器用さで、これくらい単純な金具の不具合ならきっとすぐに直してしまうだろう。それに待たせていたことを気にしているようだから、たぶん詫びも兼ねての申し出に違いない。

「いや、だいぶ古かったしな。これを機に新調するわ。なんやさっきのフォカロル見とったら俺も新しいもんが欲しゅうなってきたし」
「そうか。それは捨てるのか？」
「うん？　せやなあ、壊れてしもてるから使い道もあらへんし」
「――なら、俺が貰ってもいいか」

　その言葉にカスピエルは一度瞬いて、フォカロルの顔を見る。どうやら冗談では無さそうだ。
　もう捨てるだけの物だったのだ。好きに使って構わないし、中の灰を捨ててから渡すと言えば嬉しそうにしていたので、何に使うのかを聞けば「後で教える」と言う。先ほどまで煙草入れとして機能していたそれを自分はたしかにその時ガラクタだと思ったのだが、どうやらフォカロルは違ったらしい。
　そろそろ使い捨てという概念も捨てなければならないのかもしれないなあと、カスピエルはもう尽きてしまった煙草の煙をどうしようもなく欲した。

　◇

　確かに、「好きに使っていい」とは言った。何に使うのかと聞いたら「後で教える」と返されたこともばっちりと覚えている。
　それでも、カスピエルは目の前の光景が信じられず、アジトの大広間に入ってきたフォカロルを見るなりズカズカと大股で詰め寄る他なかった。

「あ、ん、なァ？！　俺、聞いてへんぞ！　これ！」
「おい、うるさい。耳元で騒ぐな！」
「いや騒がせとる元凶ジブンやからな？！」

　何の前触れもなく連れがいきなりギャンギャンと騒ぎ出せばそれなりにブーイングも起こるというもので、メフィストたちからは「うるさいぞー」と野次を飛ばされた。扉の前を占領していたから、「ふふ、とっても賑やかねえ」なんて、ウァラクがふわふわとその脇をうまいことすり抜けていく。視界の隅ではソロモンがすこしだけ焦っているのも見えた。すまんなソロモン。これは喧嘩ではないので許してほしい。そしてこの男、ほんまいい加減にしてほしい。
　子どもたちに配らなければならないものがあるからそんな時間はないと主張するフォカロルを引っ掴んで、廊下へと連れ出す。相も変わらず何で騒がれているのかを理解していない顔が非常に憎たらしく思える。何だ、用件は簡潔に述べろ。そんなことを言う鬼教官の肩をぎゅうと掴み、カスピエルは盛大にため息を吐いた。

「…………なあ、説明してや………………」
「どれをだ」
「……これに決まっとるやろ！　ジブンしれっと身につけとるけどこれ、俺がやったヤツやないか？！」

　そこまで言ってようやく、フォカロルはああ、と状況を理解したようだった。
　彼の服はシックな色合いでまとめてあり、それでも華やかさが出るよう金色の装飾を施してもらっている。そこまで目立ちたくはないと言っていた本人の希望と、それでも正装なのだからすこしは派手な部分も入れろというカスピエルの意見も取り入れた結果である。インバネスコートの上にはマフラーを下げ、この部分は彼の好みなのだろうが、ハットにゴーグルを取り付け、らしさも演出していた。――そこまではいいのだ。そこまでは。
　それなのに、どうして、彼は正装なのにも拘わらず懐に工具入れを忍ばせ――そしてよりにもよって、どうして、その入れ物がカスピエルが渡した煙草入れのデザインにそっくりなのだろうか。
　説明をしてほしい。
　「後で教える」じゃなくて、「先に教えて」欲しかった。使うなら使うと言って欲しかった。いや、確かに義務なんてないのだけれど、あれは随分と昔に女から貰った代物で、ずうっと使っていたのだ。メフィストの前でもインキュバスの前でも使っていた。何なら、アジトの煙草仲間何人かの前でも使っていた。皆みんな、知っているのだ。『これはカスピエルの持ち物だ』ということを。

「なん…………、なあほんま、なに？　何なん？」
「後で教えるときちんと伝えていたはずだが」
「あーあーせやなぁ確かに言うとったわ、けどそれについても言いたいことがあるで俺は」
「何だ？！　じゃあ嫌だということか？！」
「そうは言っとらんやろ！！」

　もう何かを言うことも馬鹿らしい。気疲れしてその場にしゃがみ込むカスピエルの上から、「……嫌ではないのなら、よかった」と安堵の声が聞こえて来て、もう駄目だった。
　捨てなければと思ったのだ。過去もろとも捨ててしまえば目の前から消えるし、無かったことにできる。そんな考えも捨てなければと思っていたカスピエルすらも、簡単に拾い上げないでほしい。あの日から、フォカロルに何かをしてあげたいと思っていたのに、これではまるで意味が無い。
　リベンジや。そう決めた。今度こそ上等なスーツを見繕ってやる。彼の仕事も裏でめちゃくちゃ調整してて、一日丸々非番を作らせてみせる。

――せめてそれ、アイツらの前では見せんといて。

　様々な感情をどうにか抑え込んで立ち上がったカスピエルの譲歩に、感情をめちゃくちゃにしてきた当の本人であるフォカロルは満足げに頷いていた。

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